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大阪地方裁判所 平成9年(ワ)5761号 判決

原告

柏原昌二

被告

松原英和

主文

一  被告は、原告に対し、一二二四万一六七二円及びこれに対する平成三年一月六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを一〇分し、その三を原告の負担の、その余を被告の負担とする。

四  この判決の第一項は、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

被告は、原告に対し、一七九三万二四五三円及びこれに対する平成三年一月六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、原告の運転する自動二輪車が被告の運転する自動車に衝突しかけて転倒した事故に関し、原告が負傷したなどとしたとして、被告に対し、民法七〇九条に基づき損害の賠償を求めた事案である。

一  争いのない事実等

以下のうち、1は当事者間に争いがない。2、3は被告において明らかに争わないので自白したものと見なされる。

1  被告は、平成三年一月六日午後九時ころ、大阪市平野区背戸口五丁目三番一五号先道路(以下「本件道路」という。)左端に停車させていた普通乗用自動車(なにわ五六む六七〇四、以下「被告車両」という。)を発進させ、道路中心部に出てきたところ、後ろから原告運転の自動二輪車(なにわき四五〇三、以下「原告車両」という。)がそれを避けようとして転倒した(以下「本件事故」という。)。

2  本件事故は、被告の過失によって発生した。

3  原告は、自動車損害賠償責任保険(以下「自賠責保険」という。)から四三四万円の支払を受けた。

二  (争点)

1  本件事故態様(過失相殺)

(被告の主張)

被告は、右方向指示を出しながら、後方を見て原告車両との距離が十分あったことを確認して、ゆっくりと徐行して出てきた。一方、原告は酒酔状態でかつ制限速度を大幅に超過する時速六〇キロメートル以上の速度で走行していた。原告は、右酒酔状態のため被告車両の発見が遅れた。以上から原告の過失割合は七〇パーセントを下らない。

(原告の主張)

被告車両が停止した本件道路は駐車禁止規制があったのにもかかわらず、被告は、被告車両を駐車させていた。被告は、本件道路中央に出るのに、後方確認を十分せず、被告車両を急発進させて出た。一方、原告は、被告が被告車両を発進させようとしていたことが判ったが、予想外に急に被告車両が本件道路中央に出てきたため、前方を塞がれてしまった。原告車両の速度は時速五〇キロメートルほどであった。原告は酒を飲んでいたが、運転に支障をきたすほど影響はなかった。以上総合すると、被告の過失割合は八〇パーセントを下らない。

2  原告の損害

(一) 原告の主張

(1) 逸失利益 二一四〇万二七八八円

自動車損害賠償保障法施行令二条別表後遺障害別等級表(以下「等級表」という。)一〇級に該当する後遺障害を残し、労働能力喪失率が二七パーセント、稼働可能期間が三九年(新ホフマン係数二一・三〇九)、年収三七二万〇〇〇五円で計算した。

(2) 後遺障害慰藉料 四四〇万円

(二) 被告の主張

原告の主張は争う。

原告の逸失利益について、原告の本件事故前の平成二年の年収は三七二万〇〇〇五円であったが、平成六年度は四八〇万九二四七円、平成七年度は五〇四万九一八六円、平成八年度は五五一万五七八二円、平成九年度は五五五万九九二八円と増えていて、減収がないので、原告主張の逸失利益の損害は認められない。

3  消滅時効

(一) 被告の主張

時効の起算点は後遺障害の症状の発生時と考えるが、症状固定時であるとしても、原告は、本件事故により、右上腕神経叢損傷、脳挫傷などの傷害を負い、右上腕部の不全麻痺の後遺障害を残したが、右症状は遅くとも平成三年七月六日には固定しており、右から本件訴えの提起された平成九年六月一二日までには三年が経過しており、原告の被告に対する損害賠償請求権は時効により消滅しているから、被告は右時効を援用する。

(二) 原告の主張

原告の症状固定は平成六年九月七日であるから、右から三年が経過する前に本件訴えが提起されたから、原告の被告に対する損害賠償請求権はいまだ時効によって消滅していない。

また、次のとおり、時効中断がある。

(1) 被告は、平成八年四月一五日、被告に対し、内容証明郵便で後遺障害による逸失利益及び慰藉料の請求をしたが、被告の当時の代理人から任意保険会社への加入の有無等について調査する期間の猶予がなされ、これは被告の債務を調査する期間の猶予ではないが、時効制度の趣旨からこれと同視できるので、右猶予期間中時効の進行は停止し、被告から回答があった平成八年一二月一九日から六か月が経過した平成九年六月一九日より前に本訴が提起された。

(2) 平成八年一二月一三日から前記被告代理人と原告代理人との間で本件交通事故に関する交渉が続いていたので、その期間催告が継続していたものと解される。

(3) 平成八年一二月一九日、原告代理人から前記被告代理人に対し、どのようなかたちで進めるのか問うたら、右被告代理人から、そのまま自分が進めるか、他の代理人が進めるか不安定な状態にあると回答されたが、これは催告にあたる。

(4) 右(1)の交渉の中で、前記被告代理人は、原告代理人に対し、「被告が支払いをするにしても、被告の任意保険加入の有無がわからず、被告側では保険で解決してもらいたいとの意向もあり、被告側が任意保険会社を調査する。」という趣旨を告げ、原告代理人は、右を受けてその結果を待つことにしたが、平成八年一二月一九日、右被告代理人から原告代理人に対し、被告の任意保険会社は三井海上火災保険である旨の回答をした。以上の経緯は、被告が債務を承認した上、任意保険で解決する意思を有し、その意思を原告に伝えたことになるから、平成八年四月ころ債務承認があったといえる。

また、右債務承認は、時効完成後であるとしたら、時効援用権の喪失となる。また、被告は、原告との交渉を故意に避けてきたので、この事情は時効援用権の濫用の事情となる。

(三) 被告の反論

右(1)、(4)の被告代理人が原告代理人と交渉した内容はほぼ認めるが、その評価は争う。特に、保険会社の調査は、原告の請求に対し、被告が保険会社と協議するためのものに過ぎず、けっして債務承認とはいえない。右(2)(3)の事実は知らないし、いずれにしても原告主張の時効中断の効果などは生じない。したがって、原告の主張はいずれも失当である。時効援用権の喪失や濫用の主張は争う。

第三争点に対する判断

一  事故態様、過失相殺について

1  前記第二の一の事実、証拠(甲一、一〇、乙五1、一六、検甲一1ないし9、原被告各本人尋問の結果)及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められ、右証拠中、右事実に反する部分は採用できない。

(一) 本件道路は、南から北に向かう北向車線(車線幅約三メートル)で、道路車線の東側は、まず路側帯があるが、さらに東には少し高くなった段差のある路面となり、その上にガードレールと橋脚が建っており、右路側帯の東側での車両の走行は不可能であった。本件道路車線の西側には普通乗用自動車が停止した場合、タイヤひとつがはみ出す程度の割合広い路側帯があった。本件道路の最高速度は、時速四〇キロメートルと規制されており、また駐車禁止の規制があった。本件道路の本件事故現場より少し南には信号機による交通整理のされている交差点があった。右交差点南側手前から本件交差点に進入する北向車両からは、右交差点に進入する時点での本件事故現場付近の見通しは悪くなかった。

(二) 被告は、本件事故当時、駐車禁止場所であった本件道路の本件事故現場付近に被告車両を駐車させていたが、発進させようとして方向指示器による右方向の合図を出し、後ろを目視とルームミラーで確認したら、約一〇〇メートル後方に原告車両がいたのが分かったが、間に合うと思い、ゆっくりと被告車両を前に出し、車道の真ん中くらいまで出て、サイドミラーで後方を確認すると、すぐ後ろまで原告車両が来ていて、どうすることもできず、原告車両は転倒した後、原告車両が被告車両右側面前部に衝突した。

(三) 原告は、本件事故当時、原告車両を運転し、時速約六〇キロメートルで南から北に走行してきたところ、前記交差点の真ん中付近で被告車両が右に出てくるのを発見したが、通り抜けられると考え、そのまま進行したが、被告車両の手前付近まで来た時は、被告車両は既に車道の真ん中付近まで出ていて、被告車両と前記ガードレールとの幅が約一メートルよりなかったため、通り抜けるのは困難となったと判断したため、あわてて急制動の措置を講じ、バランスを崩し、原告車両を転倒させて、原告車両は被告車両と衝突した。原告は、本件事故に遭う一時間半前に中瓶ビール二、三本を飲んでいた。原告の酒の強さは普通であった。

2  右によると、被告は、原告のスピードを誤り原告車両が来る前に発進できると軽信した過失があるが、原告にもスピード超過(時速二〇キロメートルの超過、原告本人尋問の結果中には、本件事故現場付近での速度は時速約四〇キロメートルだったと思うという部分もあるが、良く覚えてもいないとも供述しており、右部分はあいまいで信用できない。)、酒気帯び(酒酔いと認めるに足りる的確な証拠はない。)、前方で車両が既に出てきているので、衝突を避けるため適切な回避措置を怠った過失があるので、右原告の過失割合は四割を下らないというべきである。

二  原告の後遺障害などについて

1  前記第二の一の事実、証拠(甲一ないし三、五ないし九、一五、一六、一七ないし二二、乙一1、2、二1、2、三1、2、七ないし一三、原告本人尋問の結果)及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められ、右証拠中、右事実に反する部分は採用できない。

(一) 原告は、昭和四〇年一二月一一日生まれの男性で、本件事故当時は二五歳であった。

(二) 原告は、本件事故により路面に転倒して、意識を失い、右上腕神経叢損傷、脳挫傷などの傷害を負い、救急車により医療法人緑風会病院(以下「緑風会病院」という。)に搬送され、同病院で治療を受け、平成三年一月六日から同年二月二五日までの五一日間、同病院に入院した。この入院時点で既に右上肢不全麻痺の症状は発現していた。

(三) 原告は、緑風会病院入院中の平成三年一月一六日から同年二月一三日まで大阪大学医学部附属病院(以下「阪大病院」という。)に通院し(実通院治療日三日間)、同月二五日から同年四月一日まで三六日間、同病院に入院し、同年三月二二日に右上腕神経叢損傷のためC67間の神経が引き抜かれたので、右部分に第3・4肋間神経を移植する神経再建術という手術を受けた。右病院の担当医は、手術のころ、原告に対し、右手は不自由なまま残ると説明したが、また、完全には治らないが、気長にリハビリを続ければ六、七割は治るとも言われた。また、同病院の診断書で担当医は、今後神経の回復を評価する上で約二年間の観察が必要であるとの意見を示していた。原告は、右手術後、同病院でリハビリ治療とその経過観察を受けた。原告は、平成三年五月以降、月に一度の割合で経過観察のため阪大病院に通っていた。

(四) 原告は、平成三年四月一日から同年五月六日までの三六日間、緑風会病院に入院し、一回四〇分のリハビリを週二回受ける治療を受け、同月七日から平成七年一月二六日まで、同病院に通院(実通院治療日二五五日間)し、同様なリハビリ治療を続けた。その結果、上がらなかった肘が上がるようになり、握力も七〇〇グラムしかなかったのが平成六年九月ころには二〇キログラムにまで回復した。

(五) 以上の治療経過を踏まえ、緑風会病院の医師川越一慶は、原告は右上肢不全麻痺の障害が残り、右症状が平成六年九月七日に固定したとする診断をし、阪大病院の医師内田淳子も、原告の右症状の固定が平成六年九月七日とする診断をした。また、原告の執刀医であった河井秀夫は、「術後の回復経過並びに理学療法は長期間を要し、回復終了までは三年間を要する。神経手術後神経再生により上腕部並びに前腕部の回復徴候は術後一年から一年六ケ月で認められる。回復徴候の認められた筋の十分な筋力回復にさらに一年から一年六ケ月を要し回復終了まで三年を要すると考えるのが通常である。」という意見を述べていた。

(六) 原告は、本件事故当時、松下電器産業株式会社ビデオ事業部に勤めており、平成二年度の年収が三七二万〇〇〇五円であった。原告は、現在、同会社の営業の事業部に勤務しており、平成六年度が四八六万九二四七円、平成七年度が五〇四万九一八六円、平成八年度が五五一万五七八二円、平成九年度が五五五万九九二八円と増収となっていたが、事務職でありながら右腕で字が書けないので、本人の努力で左手で字を書くようにしているが、仕事の能率は下がったし、そのため、残業も増え、人のいやがる仕事もしているし、同期、同年齢の仲間よりも昇進等が遅れている。

(七) 自賠責保険の保険会社損害調査部は、原告の後遺障害は等級表一〇級一〇号に該当するとした。

2  以上によると、原告は、症状固定時の後遺障害として、本件事故により右上肢不全麻痺の障害を残し、右は右腕の肩関節などの機能に著しい障害を残すものとして等級表一〇級一〇号に該当する後遺障害であると認めるのが相当であるが、右の症状固定日については、確かに右上肢不全麻痺は本件事故時から発現し、神経再建術後の治療経過もリハビリと経過観察であったが、しかし、右リハビリ後、徐々にではあるが平成六年九月ころまで握力等改善傾向が窺われたこと、原告が本件事故により受けた傷害とその治療は頸椎捻挫と異なり、C67間の神経が引き抜かれたので、右部分に第3・4肋間神経を移植する神経再建術というものであり、専門医の意見や手術後に阪大病院が経過観察をしていたことからして、手術がどのくらい成功するか不確定であったし、かつ回復もどの程度かも不確定であるが、すべて順調にいけば本件事故前の六、七割は回復するというものに過ぎず、そうなるかは今後の状況によるという不確定的要素を多く含んでいたものと推測でき、以上のことと前記認定の治療経過からすると、右症状固定時は平成六年九月七日とするのが相当である。

三  消滅時効について

以上認定の治療経過からすれば、本件においては消滅時効の起算点を症状の固定日と解するのが相当であるところ、前記のとおり、原告の本件事故による症状の固定日は、平成六年九月七日であり、本訴提起が九年六月一二日にあったことは当裁判所に顕著な事実であるから、その余の点について判断するまでもなく、被告の本件事故による原告の損害賠償請求権は時効によって消滅していないことになり、被告の消滅時効の主張は失当である。

四  原告の損害

右を前提にすると、原告は、本件事故により次のとおりの損害賠償請求権を取得したと認められる。

1  逸失利益 二一四〇万二七八八円

原告の前記後遺障害の内容及び程度によれば、原告は、前記後遺障害により症状固定時から三九年間にわたり労働能力の二七パーセントを喪失したものと認められる。なお、被告は原告には減収がないので逸失利益の損害はないと主張するが、前記認定によれば、確かに原告には減収がないが、原告に残った後遺障害が原告の利き腕の右上肢不全麻痺というものであり、原告の事務職という仕事内容からすると、直接仕事の効率に影響するはずのものであり、ただ原告の努力によって現在のところ減収を免れているに過ぎないといえるから、かような場合、原告には右労働能力喪失程度の逸失利益の損害が発生しているものと解するのが相当であるから、被告の右主張は採用できない。前記原告の平成二年度の収入(三七二万〇〇〇五円)を基礎とし、右期間に相当する年五分の割合による中間利息を新ホフマン方式により控除すると、原告の逸失利益の本件事故時の現価は、次のとおり二一四〇万二七八八円となる(円未満切捨て、以下同じ。)。

計算式

3,720,005×0.27×21.309=21,402,788

2  後遺障害慰藉料 四四〇万円

本件に顕れた一切の事情を考慮すれば、原告が本件事故による後遺障害によって受けた精神的苦痛を慰藉するためには、四四〇万円をもってするのが相当である。

四  結論

以上によると、本件事故による原告の損害は、二五八〇万二七八八円になるところ、前記のとおり、本件事故の発生について原告には四割を下らない過失があるから、右より過失相殺として四割を控除すると、残額は一五四八万一六七二円となる。さらに原告が自賠責保険から四三四万円の支払を受けたので、それを控除すると残額は一一一四万一六七二円となる。

本件の性格及び認容額に照らすと、本件事故と相当因果関係のある弁護士費用相当損害金は一一〇万円とするのが相当であるから、結局、原告は、被告に対し、一二二四万一六七二円及びこれに対する本件事故の日である平成三年一月六日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求めることができる。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判官 岩崎敏郎)

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